みやまぶらり旅 2018 秋冬 紅葉いろの和キャンドル作り 

和ろうそく

みやまぶらり旅 2018 秋冬 紅葉いろの和キャンドル作り 

晩秋の古刹 来迎寺 紅葉いろの和キャンドル作り 

恒例になった「みやまぶらり旅2018秋冬」が9月30日からスタートします。その申し込みが10日から始まります。そこで、12月2日(日)に行われる「紅葉いろの和キャンドル作り」のご案内をします。


正覚山聖衆院来迎寺

浄土宗、聖衆院は最も古い寺であったが、 天正年間(1573-1592)兵火のために寺院、寺記残らず焼失した。
善導寺の住職西蓮社方誉上人泉公和尚が中興開山となって再建した。泉公は肥後の人で、氏名は不明である。 初め善導寺にいる時、この寺の永く絶えているのを嘆いて、上庄に来てこれを再興。
2代目誠誉上人は大友義統[1]の嫡男が死んだ時引導して本寺に葬った。
宗茂公の夫人闇千代姫が肥後玉名郡腹赤村に逝去された時引導して百姓市蔵の屋敷内に葬った。
3代目正誉上人は南関悟真寺の廃絶したのを嘆き、慶長(13年1608)再興した。
4代目応誉上人の時宗茂公良清寺を建立され、 応誉を開祖とされた。
寺記に本尊阿弥陀仏は楞厳院源信僧[3]の鋳造であると伝えられる。
寺院内に板碑がある。

ひとくちメモ
門前の薩摩街道から細長い参道を進み、楼門をくぐる。 この楼門はかなりの年代物と思われる。白木にて補強がされている。
閻魔堂・地蔵堂・納骨堂と思しき派手な朱色の建物、植栽それに本堂と所狭しと配置されている。
本堂の前面のガラス戸もかなりの年歴を経たもののようでなかなか良い。 閻魔堂は横に長い造りである。中央に閻魔様、両脇に多数の石仏が配置されている。

伊藤氏メモ山門前の参道の渋さと納骨堂のカラフルさと庫裏の土間の古式さと本堂内の龍の欄間と天井の間の中国風色彩が絶妙の組み合わせ。(2015-03-28)

地名の「上庄」は「かみのしょう」と読む。

創建は不明だが縁起書には1300年前聖徳太子の時代に創建されたため、聖衆院来迎寺と称えられ、九州では最古で、筑前、筑後肥前、肥後はもとより、越前国まで末寺があったそうで、古くは瀬高寺といっていた。
「上ノ庄内道場瀬高来迎寺田下ヶ名」といっていたと記録されている。
本堂正面には阿弥陀如来が安置され、脇侍として右側には観音菩薩を、左側には勢至菩薩をまつり、下段には浄土への来迎の菩薩として二十五菩薩がまつられている。
天正年間(1573~1591)大友宗麟が九州下向の時、兵火のため、殿堂、僧舎、寺記、焼失した。その時の一部の古文書の残片あり。
天正15年(1587)浮羽郡善導寺の方誉上人(ほうよしょうにん)は、この古跡(こせき)の絶えること当寺を再興され第一世となられた。
第二世誠誉(せいよ)上人は立花宗茂の夫人(吟千代ぎんちよ)の死去に際し、現地に於いて引導し葬(ほうむ)る。
境内には天正15年(1549)の板碑がある。阿弥陀さんぞん来迎図を線刻している。その右中央に立花宗茂の妹、小田部殿氏女(おだべどのしじょ)俗名松春大姉(ばいがんしょうしゅんたいし)の墓。
右に豊後大友氏の屋形城落城の時難を逃れ鷹尾村で疱瘡を患い慶長元年(1596)僅か7才で去った大友義統嫡子大友男也(おとや)の墓があり、無縫塔(むほうとう)台座に「豊州大友當君.月窓照芳大童子」の銘がある。
来迎寺第4世の應誉上人は柳川の人で姓は藤氏であり、蒲池鑑久の孫である。
柳川城主立花宗茂の亡き夫人のため、元和7年(1621)柳川に良清寺を創建、第1祖となられた。

また境内には瀬高町女山出身の松尾竹後の歌碑「秋高し思へる今が過ぎてゆく」がある。


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